赤鬼青鬼 1

夜明け

 人を見る目がない私には、相手がどんな性根の人間なのかを察することが出来ない。悪い人なのかいい人なのか。私を好きなのか嫌いなのか。そういう考え方がいまいち分からない。この人とはちょっと関わらないようにしよう……と誰もが思うような相手に対しても、私はそんなこと思わないし、思いつきもしない。会う人会う人、誰もが良い人間に見えてしまって、この世の人はみんないい人なんじゃないかと思う。みんなが私に優しくしてくれて、悪い人なんてどこにもいないんじゃないかって……。事実、私の周りにいる人間はみんないい人ばかりなのだ。みんなはそれを否定するけど。あいつは悪い奴だ。僕はそんなに優しくないよ。なんて口では言うけど、みんなの本当の心は焼きたてのお皿みたいに白くてぴかぴかなのだ。ちょっとくらい汚れても、ジョイで洗えばまたぴかぴかが出てくる。それがみんなの本質なのだ。私だけがそれを知ってる。

 だけど、どうやら私の見ている世界は、他の人とはちょっと違うらしい、ということに、最近気づき始めた。高校に入ってからだ。
  小学校高学年にもなれば、それまでとろとろのチーズフォンデュくらい曖昧だった脳が、ようやく白子くらいの具体的な硬さに凝固して、ちゃんと物を考えられるようになる。それが自我の目覚め、物心が付くということだ。でも多分その小学校高学年、という境界線が、私についてはちょっとずれていて、それが高校二年生の今だったのだ。と言ってもいいくらい、最近までちっとも何も考えてなかったなあ……なんて私は感じていて、そういった恥ずかしさがみるみる積もって山になって、もう外も出歩けないくらい恥ずかしくなって、先週は学校を休んでみたけど、一日休んだらすっかり立ち直って、まあいいや、私が何を考えていようが、見た目はそんなに変わらないよね、となり、すっかり普段通りの生活を取り戻すあたり、私は自分の脳天気な性格に多大なる感謝をしなければならないなあ、と感じさせるこの頃。
  要するに、馬鹿だったのだ。二足で立ち上がることによって知能を獲得した猿みたいに、あっ、俺、立てるじゃん。なに今まで四つ足で歩いてたんだろ、うわ、ださ、今までの俺だっさ、となったように、突然自意識が目覚めた私は、すごいショックだった。そのとき数学の授業中だったんだけど、ガコーンと派手な音を立てて椅子を跳ね飛ばしつつ立ち上がってしまい、クラス中がしーんとなって私の方を見てて、さすがに私も、自分の作り出しただいぶ気まずい空気にテンパって、えへへ、と照れたフリをして座った。
  またかよ、くすす……。ざわわ。
  えへへ、いやあ恥ずかしいです。寝ぼけてました。えへへ。なんて、後頭部をぽりぽりかいてみせて、着席した私だけど、裏腹、心臓は最大限にぎゅんぎゅんしていて、顔が血でぱんぱんになっていて、脳は焼いた蟹味噌みたいに加熱していた。これは跳ね起きてしまったことが恥ずかしかったからじゃなくって、ほんのちょっとだけ格好いい数学の先生の冷たい死線にうろたえていたからでもなくって、自我の目覚めた反動のせいだった。小学生並みだったIQがちょっとだけ上昇したせいだった。そうして私の自我は一週間前の水曜日の二限目に目覚めたのだった。